鉱山の町・細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム
寺崎英子写真集刊行委員会(日本)

宮城県北西部、奥羽山脈の山麓の町鶯沢に細倉鉱山という、鉛や亜鉛を産出した日本で有数の鉱山がありました。
1941年、旧満州に生まれた寺崎英子は、家族とともに細倉に移り住み、家業の売店を生業にしてきました。
鉱山の閉山が発表されると寺崎はカメラを手にし、記録を始めます。閉山までは町や人々。子どもたちやそこで飼われていた動物などに
精力的に眼を向け、閉山後は消えていく人々の生活、そしてその場所が草むらとなって埋もれていく過程を丹念に撮影し、
約1万1千カットのネガを残しました。本展では、写真をプリントすることなく2016年、75歳で亡くなった寺崎英子のネガからその作品の一端を紹介します。

寺崎英子写真集刊行委員会 Eiko Terasaki Photo Book Publication Committee
撮影:
寺崎 英子(てらさき えいこ)
1941年旧満州生まれ。終戦後、宮城県鶯沢町細倉(現在の栗原市)に家族と移住し、両親は細倉鉱山の購買会で八百屋を営み、兄と弟は鉱山で働く。幼少期にカリエスを患い闘病後、家業を経理で支えた。鉱山の閉山が発表された直後から町や人々を撮り始め、371本のフィルムを残す。2016年5月急逝。
監修:
小岩勉(こいわ つとむ)
1962年岩手県生まれ。写真集「女川海物語」カタツムリ社、FACES OF HUMANITY 93/94」共著、「野守の鏡」私家版。作品掲載「破局の後を生きる」世界別冊/岩波書店、「技術とは何だろうか」ハイデガー/森一郎 訳/講談社、「ツァラトゥストラはこう言った」ニーチェ/森一郎訳/講談社、他。代表を務める寺崎英子写真集刊行委員会が「細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム」で2024年日本写真協会賞学芸賞受賞
企画:
杉本浄(すぎもと きよし)
東海大学 歴史学/インド近現代史。オディシャー州の地域史およびイギリス帝国の鉱山史を研究。15年ほど前から研究者仲間と一緒に、佐渡で実践的な研究に従事。佐渡出身。